⑥ 共有の時代に共同のお寺のお墓
私たちが日々を生きるこの世界は、ますます気忙しく世知辛く、生きづらいものになっているのかもしれません。何のために生きているのかわからなくなってしまうようなこともあるかもしれません。何を信じて、何を心のよりどころとすればいいのか、多くの人がわからなくなってしまっているのかもしれません。
信教の自由が保証されている現代では、人それぞれに何を信じてもかまわないことになっているので、社会の常識とされていた慣習や、ならわしやしきたりの効力も弱くなっているようです。各々が自分の意志で、何を信じて生きていくかを、探さなければいけないようになってきています。
超少子高齢社会とその後が予測されるなか、家のお墓の維持は、これからますます困難な時代になっていきそうです。近年では、これまでの家墓を別の場所に移動する「改葬」や、これまでの墓碑を処分してご遺骨を何らかの方法で埋葬し直す「墓じまい」を相談されるケースが、年々増えています。
多様な葬送の在り方が認められるようになった現代では、海や山にご遺骨を葬る「散骨」という方法もあれば、宗教宗派を問わずにご遺骨を受け入れてくれる「納骨堂」や「共同墓」も多種多様にあります。
先にも記したように、今までは当たり前のように思われていた「家のお墓」は、明治時代にあった「家制度」に基づいてあったものです。しかしながら現行の民法には、それについての規定はありません。家のお墓をこれからどうしていくかは、家族や親族で話し合って決めていくしかないのです。
これまでに護られてきたお墓があるなら、それを今後も維持していけるようにしていくことは、まずは第一に、家族で努めなければいけないことだと思います。けれども明治時代の慣習に基づいて家墓を相続していかなければいけないのであるなら、どうにかして男系の後継者を確保していかなければいけなくもなります。
そうであるなら次の世代には、まずそれを言い聞かせていくことが大切だし、それが無理であれば、養子縁組のような制度を積極的に受け入れていく必要もあるでしょう。
一家、一族、家族、親族という絆(きずな)を守っていこうとすることは、本当に大事なことだと思います。けれども、何々家の墓ということにあんまりこだわりすぎると、どうにも窮屈な気持ちになってしまいます。家のお墓は自然な世代交代のなかで、自然な気持ちで受け継がれていくことが、理想的です。
浄土真宗のお墓には「南無阿弥陀仏」の六文字が彫ってあるのが一般的ですが、まれに「倶会一処( くえいっしょ )」という四文字が彫られていることもあります。
「南無阿弥陀仏」の六文字は、「浄らかに満ち満ちてある、不可思議なるひかりといのち」を意味するものです。そして「倶会一処」の四文字は、「永遠のひかりといのちのもとで、ひとつとなってまた会いましょう」というメッセージです。
やがてはかならず迎えられる安心の世界があることを、「倶会一処」の四文字は伝えています。そしてまた、ご縁の人と一緒に墓前に立って、掌を合わせるその時にも、すべてのいのちはつながりあってひとつにあるということを、その四文字は伝えようとしています。
目には見えなくても
陰となってはたらいている力があって
おかげさまで願われてある
私たち一人一人です
有難くしてある いまここの出遇いを
心から感謝して 合掌しましょう
よいご縁を
南 無 阿 弥 陀 仏

写真:本多 元