慶集寺について

浄土真宗本願寺派の仏教寺院「琳空山 慶集寺(りんくうざん きょうしゅうじ)」は、富山県富山市東岩瀬の郷土史に重なる約五百年の歴史を有する、小さなお寺です。

慶集寺に伝わる由来書によると、今から約五百年前に「一屋坪」と呼ばれる場所(現在の岩瀬天池町・富山市パークゴルフ場付近)に東岩瀬の起源となる十八戸ほどの集落があったと記されており、その中に慶集寺寺族・河上氏の祖先となる人物「河上中務ナルモノ」がいたと伝えられています。

そして、この「河上中務ナルモノ」は、蓮如上人が越前の吉崎御坊に下向されていた文明年間(1471-1475)にその地を訪れ、浄土真宗の教えを受け、上人の門下となったと記されています。

 

 

慶集寺には、文亀二年(1502)本願寺第九代門主・実如上人直筆の裏書が付された「絵像本尊」が代々に渡って受け継がれており、本願寺中興の祖・蓮如上人との交流を伝える伝説的逸話も伝えられています。

 

 

裏書の記載によると、この絵像本尊の下付された場所は「加州石川郡北嶋保鹿嶋村」となっており、これは現在の「石川県白山市鹿島町」の地域を示しています。手取川の河口付近に位置するその一帯は、蓮如上人の室町時代から、実如・証如・顕如上人の三代にわたる戦国時代へと続く、「真宗門徒共和国・加賀」の一向一揆の歴史が伝えられている場所です。

 

 

中世の北陸地方を舞台とした戦記史料『朝倉始末記』には、「玄任(げんにん)」という名の一揆軍将が、加賀・手取川河口の島集落より現れたというエピソードが記されています。そして裏書に願主としてある「釋善玄」が、この「玄任」なのではないかとする説も、郷土史家の間に浮上しています。

 

 

加賀の地に下付されたはずの北陸最古の部類の絵像本尊が、なぜ越中東岩瀬の小さなお寺の開基仏(寺院の起源となる御本尊)として護持されているのかは、定かではありません。しかしながらこの御本尊が、一向一揆と越前-加賀-能登-越中の日本海沿岸交流に関わる、重要史料であることは間違いありません。

 

 

また慶集寺には、享保三年(1718年)本願寺第十四代宗主・寂如上人よって下付された、仏師・渡辺康雲による木仏像も、御本尊として代々護られています。

「琳空山 慶集寺」という寺号もまた、木仏像とともに本願寺より免許されたものなので、平成三十年(2018)は、慶集寺創建三百周年の記念すべき年となります。

 

 

新元号の時代の幕開けに向けて、御本尊の再生修復作業が施されると同時に、様々な事業計画が進行しています。

東岩瀬町と共に持続発展する「未来につながるお寺」でありたいと願う、慶集寺です。

 

慶集寺 第十八代 住職 
河上 朋弘(かわかみ ほうぐ)

1969年 富山県富山市東岩瀬町に生まれ。15歳で浄土真宗本願寺派僧侶として得度。
早稲田大学 第二文学部 演劇学科 映画専攻 修了。
29歳で宗派教師資格を取得し、東京より帰郷。在家仏教僧侶としての生活を慶集寺で始めました。
35歳で当寺十八世住職を継承し、南無阿弥陀仏と共にある人生を日々精進しております。

寺院創立三百周年となる2018年、自身のホームページ『リンクエイジ』での執筆活動が、二十年目を更新しました。ご縁の方にお読みいただければ幸いです。

 

ACCESS

富山ライトレールの「東岩瀬駅」または「競輪場前駅」または「岩瀬浜駅」より、徒歩約10分。