おかげさまで いまある
ありがたく ここにある
どんなひとも この世に生まれてくるには
二人のひとがいなければ
生まれてきません
父と母が出会ったことによって
わたしは生まれてきました
父にも その父と母がいて
それは私にとっての
祖父であり 祖母でもあるわけですが
つまりは父が存在するのにも
二人のひとが必ずいたのです
同様に母にも 父がいて 母がいて
その人は私にとっての
母方の祖父であり祖母であって
二人のひとが 必ずいたのです
私という一人には
父と母という二人のひとと
“祖父母”という四人のひとが 必ずいます
そしてまた 四人の祖父母にも
父と母がいたはずであることを思うと
私には八人の”曾祖父母(そうそふぼ)”が
いたということになります
四人の祖父母とは
生活を共にしたことがあったり
年に数回は会っていたり
写真に姿が遺されていたり
どんな人だったかを聞かされていたり
せめて名前くらいは知ってたり
するかもしれませんが
八人の曾祖父母にもなると
その像はかなりぼやけてしまいます
その八人の曾祖父母にも
必ず父と母とがあったことでしょう
男と女が出会わないと
子どもは生まれてこないのですから
八人の曾祖父母が生まれるには
十六人のひとたちがいたはずです
このひとたちを”高祖父母(こうそふぼ)”
というそうですが
ここまでくるとその人たちが
どんな人生を送ったか
どんな姿の人だったか
どんな名前の人だったかなんてことは
なかなか伝えられることはありません
十六人の人たちが生まれるには
その先には三十二人のひとたちが
生きていたはずです
もうこれくらいになると
“ご先祖さま”と言ってもよいほどでしょうか
けれども三十二人のご先祖さまで
その”つながり”が止まることはありません
その方々にも二人の親がいたことを思えば
その先には 六十四人の
その先には 百二十八人の
その先には 二百五十六人の
その先には 五百十二人の
そのまた先には 千二十四人の
ご先祖さまが 必ずいるはずなのです
そこでおしまいなわけではありません
さらに過去へとさかのぼっていけば
倍々になって
ご先祖さまの数は増えていきます
それは果てしなく続いていって
ご先祖さまは永遠に
つながりひろがっていきます
どのご先祖さまの一人がいなかったとしても
いまここにいる私は 生まれてきません
人と人の 男と女の
様々に 色々で 偶々の出会いが
重なり合ってある いまここのわたしは
在ること難し 在り難し
当然のように
当たり前に在るのではなく
偶々のご縁があって
いまここに存在しているのです
私たちは 目に見えないものを
無いものかのように思ってしまいがちですが
私の目に見えるものなんて
ほんのわずかな一部でしかなくて
目には見えないけれども
陰となって お陰さまで
当然のように
当たり前に在るのではなく
様々なご縁に支えられて
いまここに存在するのです
ありがたく いまある
おかげさまで ここにある
右の手と左の手をひとつにあわせて
ありがとう おかげさま
写真:石黒健治