①03.仏と一つに成る
インド発祥の仏教教典である『大乗涅槃経』には「すべての生き物には仏の性質が内在している」という言葉があります。これは、すべての生き物には仏に成れる可能性があるということです。
このような仏教の教えを元にして、中国や朝鮮などに見られる東アジア的な精神性も混じり合って、「山や川や草や木にも、仏の性質が内在している」という考え方が、日本独自の仏教として成立するようになりました。
山や川は自然界における場所であって、草や木はただの植物でしかないと捉えるのが、西洋社会の常識なのだと思います。けれども日本人には、草木に限らず火や水や石や土までにも、生命の内在を感じ取る独特の感覚があります。
動植物にかぎらず鉱物までもが、人間と同様にブッダに成ることができるという、古典の漢詩もあるほどです。これは、西洋人だけではなく、日本以外の国の仏教徒にとっても奇妙なことに思われるかもしれません。けれども日本人には、このような自然観が、太古の昔から備わっているようなのです。
本来の、ゴータマ・ブッダが説かれたインドの仏教における「成仏」は、あくまでも人間が自らの修行によって悟りを開くことです。それは、人間存在が自分自身の主体的な意志や行為によって、ブッダに成るという意味です。しかしながら、日本において大きく展開した大乗仏教においては、成仏の意味がこれとは異なるものに変容しています。
それはむしろ「仏と一つに成る」と受け取ることができるような捉え方です。それは「仏が悟られた境地と同体になる」という意味に近いかもしれません。それはまた「ただ一つの生命の根源に還る」と言い換えられるかもしれません。
ブッダとは、物質的で固定的で限定的な一体の存在を超えてあるものです。
ブッダの本質とは、「永遠の光と命」であると私は捉えています。光り輝き躍動する生命エネルギーが外に溢れ出るほどに、内に満ち満ちている。そうしたエネルギーの表象として、ブッダを捉える見方です。
浄土教典には、ブッダの救済によって、私たちにもブッダと同様の境地に達する可能性があることが示されています。すべての存在が「永遠の光と命」と溶け合うような世界があるというのです。ブッダの救済によって、私たちは「永遠の光と命」と一体化できるというのです。それが「一如」とも言われる「一心」の境地です。
一つひとつの生命体を、私たちはそれぞれに分かれているものとして捉えています。しかし、その源泉は同じ一つの生命エネルギーであって、すべてがみんなつながっているのかもしれません。
日本人には、生命のつながりのなかの一つとしてある自分を、自然に受け入れられる感性があるように思います。そうした感性から生まれた日本仏教が、私たちの生きる現代に至るまで、脈々と伝わってきていることを、私は信じています。
① 日本のスピリチュアリティ
03. 仏と一つに成る
② 仏の教えと大乗思想
③ 聖徳太子の仏法
01. 日本のお釈迦さま
02. 信と礼と和の理想
03. 世間虚仮 唯仏是真
④ 親鸞聖人が伝える信心
01. 仏法僧の3つの宝
02. 信と真と心のプラサーダ
03. 俗にそまらず 悟りすまさず
⑤ 南無阿弥陀仏を聞く