③01. 日本のお釈迦さま
日本における2つの主なる宗教に、神道と仏教があります。神道は古代日本に起源がある、この島国固有の土着の信仰です。それに対して仏教は、今から約1500年前に、インドから中国大陸を渡り、朝鮮半島を経て、日本に伝えられた、外来の宗教です。
仏教が伝来した飛鳥時代の有名な仏教徒に聖徳太子がいます。歴史的な日本の高僧たちが、日本仏教の始祖、すなわち「日本のお釈迦さま」として、聖徳太子を尊敬されてきました。
聖徳太子は日本の国に仏教を根付かせる起源を担う人でありながら、僧侶なわけではありませんでした。彼は日本の原型である倭国(わのくに)の王子であり、そしてまた、天皇を支えてその統治の中枢的存在を担う政治家でした。
聖徳太子は、仏教徒にとってだけではなく、日本では知らない人はいないぐらいに有名な、伝説的で歴史的で偉人です。彼は仏教思想に基づく様々な政治的な取り組みを通して、東アジアにおける交際的に独立した国づくりを成し遂げました。
大乗仏教を修得することは、社会生活の中で実践しなければいけないことである。そのような、大乗思想に基づく信念のもとに、出家僧侶としてではなく、在家仏教徒として、聖徳太子は仏道を実践されたのです。
積極的に他者と関わろうとする社会性。果てしなく自己を成長させようとする主体性。彼は疑いようのない真実の大乗仏教者です。今に伝わる太子の事績に、大乗仏教の精神性が読み取ることができます。
空の思想を説くのが、大乗仏教です。
私たちが疑うことなく現実として捉えている物事は、すべて空性に基づいて存在するものだと大乗仏教では捉えられます。それは、関係性の中で変化しながら、仮に現象として存在するものであって、絶対的な実体ではありません。
それは、あるようでない。ないようである。そのようなものでしかありません。
現象世界を空性に基づく視点から認識しようとするのが、大乗仏教です。
この世界で、空虚な生き方ではなく、充実した生き方を実践しようとするのが、大乗仏教です。
実体が無く虚ろなものに、執着することはない。
人間の生活を文化的なものにするために、道具は創造されるべきものである。
道具は使うためにあるものであって、道具に使われるような生き方をしてはいけない。
かつての日本の高額紙幣には、聖徳太子の肖像画が印刷されていました。
その姿が、私たちに向けて空の教えを説かれている場面のように、私には見えます。
① 日本のスピリチュアリティ
01. 日本人の仏教観
02. ありがとう おかげさま
03. 仏と一つに成る
04. 彼岸からの光
② 仏の教えと大乗思想
③ 聖徳太子の仏法
01. 日本のお釈迦さま
④ 親鸞聖人が伝える信心
01. 仏法僧の3つの宝
02. 信と真と心のプラサーダ
03. 俗にそまらず 悟りすまさず
⑤ 南無阿弥陀仏を聞く