③02. 信と礼と和の理想
聖徳太子は日本最古の仏教書『三経義疏』の著者であると同時に、この国の最初の成文法である『十七条憲法』を創られた人でもあります。『三経義疏』はとても難解な大乗仏教の教義を解説した理論書ですが、『十七条憲法』の方は、国の行政を担う官僚に向けて、実践的な行動規範を示した条文群になります。
十七条憲法は、罰則が伴うような法律ではありません。それはむしろ、仏教や儒教、神道、道教などの思想が織り交ぜられて創られた倫理規範のようなものですが、そこに通底している基本的な思想は、仏教に違いありません。特に、大乗仏教の特徴である社会への関わりと自己改善が、十七条憲法にはっきりと読み取られます。
十七条憲法は、出家した僧侶に対してではなく、在家の官僚に対して示された、社会における仏教の実践手引書であるとも言えます。そこには、聖徳太子の大乗仏教に対する深い理解と、発展的な解釈が込められています。
十七ある条文の真ん中に当たる第九条には「信はこれ義の本なり」という文があります。この条文は十七条憲法の要となる考え方を示すものであると私は考えています。
私たちが行うことにおいて、それが善いことか悪いことかの判断は、そこに「信(しん・誠実さ)」が有るか無いかによってなされるものであるとここに示されています。
みんなで協力して行うプロジェクトにおいて、それが成功するか失敗するかは、そこに「信(まこと・真心)」が有るか無いかで決まると書かれているのです。
十七条憲法には、遅刻をしてはいけないとか、賞罰を間違いなくしなさいとか、役割分担をしなさいとか、私利私欲はいけないとか、社会にとって善いことをしなさいとか、信頼関係を築きなさいとかといったことが書いてあります。
これらは、あまりにも基本的な、社会における行動規範であると思われます。これらは儒教で説かれる「義」の範疇にあるものです。このような、社会に生きるものとしてやらなければいけないことを「義」と言います。
ここで重要なのは、これらの義務的な行為の根本に、必ず「信」がなくてはいけないということです。このことこそが、聖徳太子の最も重要とされたことだと私は受け取っています。
ただの義務でやらされているような気持ちであっては意味がないということです。自分の成長のためにはなっていないということです。
また「義」には正義や主義や大義というような意味もあります。自分の行為を正しいと思い、それをお互いに主張し合うことはよくあります。しかしながら、そこでの根拠が自己中心的なものでしかなく、他者に対する誠実さを欠いたものであるなら、正義と正義が、主義と主義が、大義と大義がぶつかりあって、争いが起きることにもなります。だからこそ、お互いの立場や意見を分かり合おうとする誠実な気持ちが大切なのです。
そして、何事にも「信」が大事であるということを前提とした上で、この憲法では「礼」の重要性も述べられています。信(まことの心)を形にして表すのが礼(礼節)です。それはまた、礼儀の形式を整えることによって、心のあり方を整えていくことでもあります。
相手の立場や気持ちを思い遣って、失礼の無いように配慮することで、自己中心的な態度をしないように努めることが大切です。異なる意見を持つ人々が話し合いをする時、相手を敬う心がなければ、相手が自分を敬うこともありません。互いにただ自己主張をし合うだけになってしまいます。しまいには、罵り合いにまでなってしまいます。
個々人が、少なくとも相手に対する礼儀を保とうとすることによって、自分本位な心のあり方が制御されます。そうすることによって、全体の安定が保たれるはずです。
憲法の第一条には「和をもって貴しとなす」という言葉が示されています。これは、日本人であればほとんど誰もが知っている言葉です。
「和」という概念は、日本人の代表的な美徳で、やわらぐとか、なごむとか、おだやかとか、のどかとか、あたたかとかといったニュアンスを表すものです。そしてそれは、調和や平和という意味でもあります。この「和」という状態こそを尊い価値観として保たなければいけないと、聖徳太子は憲法の最初に説かれました。
異なる立場と意見のある人々が、そこで起きる何らかの問題を共に解決しようとするには、根気強く話し合い、お互いの意見を調整しようとする気持ちが重要です。自分の立場や意見をはっきりと示すことは大切ですが、それと同時に相手の立場や意見を理解しようとしなければ、話し合いになりません。一方的な要求を押し通そうとしたり、感情的になったりしないように、お互いに気をつけなければいけません。
私たちは、自己中心的な見方によって、人々を敵と味方に分けて考えることがあります。それによって、無闇に断絶や対立を促すことになれば、全体にとっても個人にとっても不利益なことが起こります。
この国の起源となる最初の憲法の第一条には、和の美徳こそを理想とするべきだと表明されています。平和こそが、人類普遍の究極的な理想とするべきだと、聖徳太子は訴えられているのです。これはコミュニケーションの大切さ、対話の重要性を伝えるメッセージでもあります。
十七条憲法には、誰もが意識しておくべきこととして、信と礼と和が示されています。誠実と謙虚と調和は、様々な人々が共存し、協働していくにおいて、最低限心に留めていかなければいけないことなのです。聖徳太子は、この3つの価値観を、この憲法において明確に概念付けられました。
このことが、その後の日本人の性格形成に、影響を及ぼしたはずです。その影響力が現代の日本人にどのくらいまだ働いているかは分かりませんが。。。
十七条憲法には大乗仏教の具体的な実践法が示されていると私は読み取っています。憲法に説かれるガイダンスに従い、それを実践することによって、それを努める人の人格は自然に変容していくはずなのです。これを実践することで、人間的な成長を自然に遂げることができるはずなのです。
私のような普通人にとって、十七条憲法を実践し、それを完成させることは、甚だ困難なことです。けれども私は、その理想を仰いで、そうありたいと普段から意識して、それを努めようと思っています。
そうすることで、少しずつでも自分によい変化が生まれていくことを信じています。
① 日本のスピリチュアリティ
01. 日本人の仏教観
02. ありがとう おかげさま
03. 仏と一つに成る
04. 彼岸からの光
② 仏の教えと大乗思想
③ 聖徳太子の仏法
02. 信と礼と和の理想
④ 親鸞聖人が伝える信心
01. 仏法僧の3つの宝
02. 信と真と心のプラサーダ
03. 俗にそまらず 悟りすまさず
⑤ 南無阿弥陀仏を聞く