④01. 仏法僧の3つの宝
ゴータマ・ブッダの生きていた2500年前のインドの仏教徒たちは、師であるゴータマと、彼が説いた教えと、彼の教えを実践する人々の集いの三つに従うことを誓い、ゴータマの弟子となられたと伝えられます。
そこから仏教は世界の様々な地域へと伝わり広がりましたが、世界のすべての仏教徒は「三宝(3つの宝)」への信を誓う儀式を続けてきました。
ブッダとダルマとサンガの3つで、「三宝」です。
三宝とは、「仏(ブッダ)」と「法(ダルマ・ブッダの教え)」と「僧(サンガ・ブッダの教えを信じる仲間)」の3つをいいます。この儀式を行うことは現代の日本の仏教徒に関しても同様です。
日本仏教の始祖・聖徳太子の記された憲法十七条の第二条には「篤く三宝を敬え」と示された上で、
それは生きとし生けるものの最後のよりどころであり、あらゆる国々が仰ぎ尊ぶ究極の規範である。いずれの時代でも、いかなる人でも、この理法を尊重しないことがあろうか。
と宣べられ、仏と法と僧の重要性を説かれています。
世界中の仏教徒が三宝への帰依を誓って仏教に入門します。
まず最初に、仏を信じるということは、ブッダという存在を仰ぐということです。仏という存在を対象として「信仰」「信奉」するということです。これはキリスト教徒やイスラム教徒やユダヤ教徒が神の存在を対象とするのと同様です。
しかしながら、仏教が他の宗教と大きく異なることがあります。それは、仏という存在を絶対的に信じる以前に、仏が説かれた仏教理論の真実性を信じなければいけないところです。
それが「法(ダルマ)」を信じるということです。
私たちが仏という存在を認識するためには、まずは法の真実性を認識する必要があります。仏を信じる以前に、法を認識し、その上で法を信じる必要があるということです。
法とは、どんな時代においても、どんな場所であっても、どんな状況においても適応する、普遍性のある自然の理法です。それはもちろん、量子力学や脳科学や心理学のような現代の最先端の科学にも適応するものであるはずです。
法に気付き、目覚めた存在が「仏(ブッダ)」です。
そしてまた法とは、苦しみから解放されるための人間の自然な生き方の学習と実践でもあります。
法の真実性や救済性を体現する存在が、ブッダなのです。
ブッダの気付かれた法を学ぶということは、ブッダの思想的系統に入るということです。それは仏の法を、自らの「信念」「信条」とすることです。それはまた、ブッダと同様に、法の体現を目指すということでもあります。それはすなわち、ブッダの弟子になるということです。
ブッダの弟子は、私以外にも、現在過去未来において、世界中にたくさんいます。その人たちは、私にとって、ブッダの宗教的系統の仲間であるということです。
それが「僧(サンガ)」です。
他の仏教徒を「信用」「信頼」することを誓って、サンガの一人となるのです。
仏に対する「信仰」「信奉」
法に対する「信念」「信条」
僧に対する「信用」「信頼」
これらの「信」はいずれも人間の心の行いであり、人間の心の状態をいうものです。
疑いの気持ちがあることによって、人の心は濁ってしまいます。何の疑いもなく心から信じることによって、気持ちがスーッとして、ほっと安心できて、気分が軽やかになります。
そんな心のはたらきを「信心(プラサーダ)」といいます。
① 日本のスピリチュアリティ
01. 日本人の仏教観
02. ありがとう おかげさま
03. 仏と一つに成る
04. 彼岸からの光
② 仏の教えと大乗思想
③ 聖徳太子の仏法
01. 日本のお釈迦さま
02. 信と礼と和の理想
03. 世間虚仮 唯仏是真
④ 親鸞聖人が伝える信心
01. 仏法僧の3つの宝
⑤ 南無阿弥陀仏を聞く