④03. 俗にそまらず 悟りすまさず
大乗仏教には、3つの特徴があります。一つ目は、すべてのものと交わろうとする社会性です。二つ目は、すべてのものに通じる普遍性です。三つ目は、すべてのものを救おうとする平等性です。
親鸞は、すべてのものは救われるという教えを追求した真の大乗仏教徒でした。
戒律を厳格に守る僧侶でなくては成仏できないのでしょうか?もしもそうであれば、煩悩にまみれて生きるしかない俗人は、成仏できないことになります。
善人でなければ、仏陀にはなれないのでしょうか?もしもそうであれば、悪人であることを自覚せざるを得ない人たちは、仏陀になることができないことになります。
これがなくては救われないというような必要条件がある救いであれば、それを出来ない人は救われないことになります。大乗仏教は誰でも実践できるものであり、自分自身の意識の持ち方次第で、誰にでも悟りの可能性が開かれているものであるはずです。
仏教徒としての戒律を守ることなく、悪人であることの自覚を持ち、社会に生活する人でありながら、自ら成仏の道を体現されたのが、親鸞なのです。
9歳からの26年間、親鸞は国家公認の学僧としてのキャリアを積みました。けれども、35歳で政治権力から宗教的な弾圧を受けてからは、一生涯をかけて自分が僧侶であると名乗られることはありませんでした。
自ら「非僧非俗(ひそうひぞく)」と宣言して、
自分のことをいわゆる「僧侶」と名乗られることはなかったのです。
政治権力の後ろ盾がなければ、世間的には僧侶であるとは認められない時代のことです。親鸞は、公的に認められた職業僧侶ではありませんでした。親鸞は、一般市民として日々を生きる人でした。
けれども、世俗の価値観に揺さぶられて生きるような、俗物でもありませんでした。彼はゴータマ・ブッダの教えをよりどころとして生きる、真の仏教徒でした。
格好だけ仏教徒らしく振る舞っている僧侶ではなく、自分こそが世間に生きる正真正銘の仏教徒であると明確に宣言したのです。これが「非僧非俗」という言葉に込められた、親鸞の深い思いであり、メッセージなのです。
彼が積極的に布教伝道を展開していた時期において、その活動の範囲は、国の中央である京都近辺ではなく、そこから遠く離れた関東でした。その当時、彼を師と慕う弟子は多くいたはずですが、彼は自ら「親鸞は弟子一人も持たず」といわれて、どんな人に対しても平等に、サンガ(仏教徒の集い)の仲間として付き合われました。
彼は関東地方を旅しながら、街道沿いの小さな辻堂などで、そこで出会った人々に説教をしました。親鸞は、それぞれの人間の本性に従って、誰でも実践できる仏教を説かれました。それは、一般市民と同じ目の高さでの説法でした。
活動拠点となる場所を設けるときにも、立派な寺院建築は必要ないと言い切られました。民家と見分けられる程度の建物を建てて、それを「道場」とされました。
権威的に振る舞わない
組織に固執しない
他者と競争しない
誰に対しても平等でいようとする
押し付けがましくない
私は親鸞のそういう生き方に共鳴します。
そういう信仰のあり方に共感します。
親鸞自身が浄土真宗という宗派を創ったわけではありませんでした。しかしながら、彼の教えは弟子と子孫によって受け継がれ、本願寺と呼ばれる寺院が建てられました。それがその後、浄土真宗という教団として組織化されたことによって、とても多くの人々に親鸞の教えが伝わっていきました。
広く海外にまで伝わったその教えを、英語では「シン・ブッディズム」とも言います。シン・ブッディズムには、日本において発生したことによる独自性と同時に、全世界に通じる普遍性があると私は考えています。
その教えはまさに、すべての庶民が救われるための教えとして開かれた教えなのです。
① 日本のスピリチュアリティ
01. 日本人の仏教観
02. ありがとう おかげさま
03. 仏と一つに成る
04. 彼岸からの光
② 仏の教えと大乗思想
③ 聖徳太子の仏法
01. 日本のお釈迦さま
02. 信と礼と和の理想
03. 世間虚仮 唯仏是真
④ 親鸞聖人が伝える信心
02. 俗にそまらず 悟りすまさず
⑤ 南無阿弥陀仏を聞く