② お釈迦さまのご分骨の行方

では、約二千五百年ほど前のインドに生きられた釈尊(お釈迦さま)のご遺骨の行方はどうだったのでしょうか。

お釈迦さまの死が間近に迫ってきたと感じられた時、弟子の一人が「先生の死に際して、私たちはその後の対処をどのようにすればいいのでしょうか?」と尋ねられたそうです。それに対してお釈迦さまは「出家者は葬儀に関わる必要はない。葬儀のことは町の人々にまかせて、仏教を志す者はただ修行に専念することが大切だ」と答えられたといいます。


お釈迦さまが亡くなられた後のご遺体は、その土地の人々によって火葬され、ご遺骨は八等分にされて、それに加えて灰と骨瓶も含めた十に分けられて、十カ国の王たちによってそれぞれの土地に持ち運ばれました。お釈迦さまのご遺骨を「仏舎利(ぶっしゃり)」といいますが、これをさらに細かく分けたものが何万もの寺院に分配されて、それを納めた「ストゥーパ」と呼ばれる仏塔が、各地に数多く建設されていきました。

釈尊滅後の数百年を経て仏教が伝来した中国では、多くの僧がお釈迦さまを慕ってインドに赴き、仏舎利の収められたストゥーパの前で供養した宝石類を「仏舎利の代替品」として持ち帰って、自国に建設した仏塔にそれを奉納しました。

ストゥーパを漢字に音写して、中国で「卒塔婆(そとうば)」という言葉が生まれますが、これが略されて仏塔を表す「塔(とう)」という言葉になります。そしてそれが日本に渡り、故人を供養するためにお墓に立てる木の板のことを「卒塔婆(そとば)」と言うようにもなったと言われています。

お釈迦さまのご遺骨を納めたストゥーパが、仏教におけるお墓の起源といってよさそうです。しかしながら、そこに納められたご遺骨を、今はもう亡くなられた方(= お釈迦さま)の分身であると見なすような捉え方は、まったく見当たりません。

あくまでも、仏の教え(仏法)を象徴するものとしての「仏舎利」があって、それをご縁として人々が集うための場所として「仏塔」が建設されたに過ぎません。

通常わたしたちは、仏教者個人のことを「僧 = 僧侶(そうりょ)」と呼んでいますが、本来のサンスクリット語に立ち戻るならば、僧(そう)とは「僧伽(そうぎゃ)」を略した言葉であり、僧伽とは「サンガ」の音写であって、それは「仏教を志す者たちの共同体」を意味するものです。

仏教の聖地であるその場所を、そこに集う人たちの集まりであるサンガを、未来永劫まで大切にして欲しいと、仏教徒の先人方は願われたのでしょう。