④ 変わりゆく家とお墓

一般の庶民にまで「家墓」の形態が広がるようになったは、「家」という共同生活単位が国家によって制度化された、明治期以降のことでした。

今日のように、分譲して売り出された墓地を契約してお墓を建てるというのは、戦後の復興期から高度経済成長時代を経て、日本の国が経済的な豊かさを享受し、精神的なゆとりを持つことができるようになってからのことです。

家のお墓は先祖代々受け継がれてきたものであって、その子孫によって永代にまでも護られるべきものだという認識は、今日でもまだまだ強くあります。しかしながら、今ある家墓のもとをたどれば、それほど長い歴史のあるものばかりでもなさそうです。

亡くなられた方を真心で弔いたいという気持ちはどんな時代であっても変わらないはずですが、これからの葬送の在り方は、これからの社会の常識や価値観の変化によって、まだまだ変わっていくのでしょう。


現代においては、お墓の在り方は家の在り方とともに大きく変化しています。お墓は、代々に渡って守り受け継がれるべき場所というよりも、今はもう亡くなられた方にまた会いに行くための場所だと考える人も、少なくないようです。

日常に引きずってきた色々なものを、パッと切り離して気持ちを浄化させるような機能が「聖地」と呼ばれる場所にはあるそうです。そうした意味でいうならば、お墓は「家の聖地」なのかもしれません。それをまた、元気を取り戻すための場所だと捉えるなら「家族のパワースポット」とも言えるでしょうか。

ある一つの家族を構成する人々は、時を経て変わっていくものです。その家を離れる人もいれば、新しく家族になる人もいるだろうし、亡くなる方もあれば、生まれてくる命もあるでしょう。家族は固定的なものではありません。常に形を変えながらあるものです。人と人との関わり合いのなかで、一人一人が変わっていき、一つの家も変わっていきます。

家族の中での関係性が変わることで「家」というものが変化していき、家族の在り方が変わることで「墓」の在り方も変わっていくのは、当然のことだと思います。大切なことは、今を生きる自分自身が、いかに家族やお墓と関わり、いかによりよく歳を重ねていけるかということです。

先にも記したように、今までは当たり前のように思われていた「家のお墓」は、明治時代にあった「家制度」に基づいてあったものです。しかしながら現代においては、家のお墓をこれからどうするかについては、家族や親族がみんなで話し合って決めていくしかありません。

超少子高齢化が進み多様化した社会の中で、家のお墓の管理や維持は、これからますます困難な時代になっていくと思われます。家のお墓は人と人との自然なつながりのなかで、自然な気持ちで受け継がれていくのが、理想的だと思います。

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