③ 遺骨供養は自然な心情
意外にも思われるかもしれませんが、お釈迦さまの説かれた本来の仏教は「霊魂」の存在を否定するところから始まっています。もう少し正確に言うなら、「霊魂」というものが不変的な実体としてあるかのように執着した考えを持つことは、人間が目指すべき真に自由な生き方とは反するものだと、仏教では説かれているのです。
インドにあった本来の仏教には「先祖供養」という考え方はありませんでした。供養しなければいけない先祖の「霊魂」が、固定的な実体としてあるとは見なさなかったからです。それはあくまでも、人間の「心象(心に浮かぶイメージ)」としてあるに過ぎないものであって、それが人の心に生じたとしても、やがては滅していくものでもあると、本来的な仏教では捉えられます。
それは、あるようでない、ないようである、不確かでぼんやりとしたイメージとしてある心的な現象に過ぎません。
日本に伝来した仏教は、インドから中国を経由して数世紀をかけて渡ってきたものなので、中国にあった儒教や道教の思想や、古くから各地に根付いていた習俗が、重なり混ざり合って、伝わってきたものです。私たちの知っているいわゆる日本の伝統仏教には、元々のインドの仏教にはなかった考え方も多く混ざっていて、様々な宗教や文化の影響が含まれているのです。
例えば、お盆になるとご先祖さまの霊が帰ってくるというようなことが言い伝えられていることもありますが、仏教の教義に基づく根拠はまったくありません。それは、古来から脈々と引き継がれてきた、日本人に自然と備わる「スピリチュアルセンス(霊的な感覚)」に過ぎません。
これまで一緒に生きてきた人が突然亡くなられたとしたら、その人は死後どこへ行ってしまったのだろう、と思うのは当然のことでしょう。そして、どうかよいところへいっていてほしい、どうか迷わないでいてほしいと願うことは、人間の自然な心情です。どんな時代の、どんな土地に生きる人であっても、自然と心に想うことなのだと思います。

死者を弔い供養しようとすることは、太古の昔から行われてきた、人間の自然な社会行動だったはずです。一番最初に人々の小さな共同社会が出来たときから、その土地のはずれには、仲間の亡骸を葬るための場所があったはずです。
それはおそらく、体系的な教義に基づく宗教的な行為であるというよりも、民俗的な「慣習」や「習俗」であって、古くからの「ならわし」や「しきたり」としてあるものだったのでしょう。
日本におけるお墓の歴史を振り返って見るなら、現代に見られる石を組み上げたようなお墓が建てられ始めたのは、江戸時代の中期頃からだと言われています。その当時には「何々家の墓」とか「何々一族の墓」と刻まれるような大きなお墓は、わずかに限られた特別な階級のものでしかなかったようです。
一般的なお墓といえば、個人や夫婦の単位で法名が刻まれた、心ばかりの小さなものがほとんどだったようです。
きっとそれが、遺された者たちにできた、精一杯の「供養」のかたちだったのでしょう。