⑤ 法名と院号法名について

◉ 浄土真宗の法名について

私たちが日常的に名乗っている名前を、仏教では「俗名」といいます。それに対して、ご葬儀の際に亡くなられた方に供えられるお名前を「戒名」や「法名」といいます。

浄土真宗では「法名」。そのほかの宗派では「戒名」です。

戒名とは「仏教の戒律を守ることを誓って出家した者に、師より授けられる僧侶としての名前」であって、本来的には、僧侶ではない一般の人につけられるものではありません。

けれども、日本の葬儀祭祀の慣習としては通例的にあるものなので、お寺にお金を支払えばつけてもらえる、しかも高額なお布施であれば、長くて立派そうな戒名をつけてもらえる、ということに、世間的にはなっているようです。

生前中に仏道修行をしなかった人であっても、一応は亡くなられたあとに仏門に入ったということにして、戒名をいただくという体裁なのでしょうか。

他宗の葬儀式において戒名が必要であるか否かについて、浄土真宗の僧侶である私がお答えすることはできません。

けれども、戒名をいただくためにお金が必要だということであれば、経済的な理由でそれを支払うことのできない人は、どうすればいいのでしょう?

戒名が無くては亡くなられた方も成仏されないんじゃないか。。。そんなふうにご遺族が思われるようであれば、それはいけません。

仏教は、すべてのものの成仏を願う教えであるはずです。
仏教とは、心の迷いから解き放たれるための教えのはずです。

慶集寺では、ご葬儀の際の費用一式に、法名の礼金も含まれていると考えていますので、改めてそれをお願いすることはありません。

◉ 生前法名について

亡くなられた方につけられるお名前が「法名」だと思われていることも多いようですが、キリスト教徒が洗礼を受けて付けられる「クリスチャンネーム」のように、法名は生前中からいただけるものです。

仏教の開祖である「釈尊(しゃくそん・釈迦牟尼仏)」の弟子となったということで、「釋(釈)」の一文字を頭にいただき、あとの漢字二文字を、経文の中からいただきます。仏教徒として目指すべき「成仏の世界」への道標として、お経の中にある「仏性(仏の性質)」を表す漢字二文字をいただきます。

これは、在家仏教徒として生きるための理想や目標を、法名としていただき、それを名乗るということです。

◉ 亡くなられた後のご法名について

つまり「法名」とは、仏教徒としての自覚を持つ人が、生きているうちにいただいてこそ、意義のあるものです。

けれども実際には、なかなかそこまで主体的に行動される方ばかりではなく、やはり亡くなられた後に、所属寺院のご住職から「おかみそり(帰敬式)」を受けて、法名をつけられる方がほとんどです。

では、亡くなられてから授与される「法名」には、どういう意義があるのでしょうか。

私は、亡くなられた方のお人柄や、生前中のお仕事、趣味などを参考にして、仏典からその方の人徳に相応しい文字を見つけて、法名とさせていただきます。

私が導師としてご葬儀をお勤めする際には、お通夜の前に帰敬式を執り行い、ご法名を授与させていただきます。そして、お通夜の読経の後には必ず、そのご法名の由来についてお話しさせていただきます。

ご葬儀の際に祭壇の中央に供えられるご法名は、亡き方の「成仏されたしるし」であると、私はお伝えしています。

仏と成られた方のお名前であり、名前として現れた仏、それが「法名」です

◉ 院号法名について

先にもお伝えしたように、通常の法名は「釋何何」というように、お釈迦さまの弟子という意味の「釋」の一文字と、それに続いてお経の中から漢字二文字をいただくこととなっています。

法名は「釋何何」の三文字で、過不足無く充分であることが前提です。

しかしながらまた、浄土真宗には「院号」という法名の形式もあります。

院号とは、浄土真宗本願寺派の護持発展に貢献された方へのお印として、20万円以上のご懇志を宗派に寄付された方に授与されるもので、「何何院 釋何何」の六文字が定型となります。

ご遺族からのご希望があったときに限り、慶集寺では院号法名の手続きをさせていただきます。

ここでお伝えしておかなければいけないのは、あくまでも院号法名とは、社会的ステータスに関わる格や位のようなものではないということです。世俗的な虚栄心や、かたちだけの慣習でしかないものであれば、それはまったく意味の無いものです。

浄土真宗本願寺派に所属する「門徒」であることに価値や意義を感じる方や、家の慣習として代々院号をつけられてきた方に、院号をお勧めすることはあります。

しかしながら、院号をつけなければいけない義務があるわけではなく、あくまでも、ご遺族の総意を取りまとめる喪主によって判断されるものであって、それは基本的に、仏教徒としての自覚に基づいてあるべきものです。

◉ 気づきのヒント・メッセージ

ご縁あって、ご葬儀の導師を勤めさせていただく役割にある私ですが、法名を決めさせていただくときには、いつも不思議な体験をします。

経典の中から、亡くなられた方にふさわしいと思われる二文字を選び取るとき、私が考えてそれを決めるというよりも、自然にふっと頭に浮かんでくるような、いわゆる「インスピレーション」のような感覚を、いつも経験するのです。

言葉には、人間の理性や思慮を越える、不思議な力が備わっているといわれます。名前には、そのものの本質に触れるような、根源的な精神性が顕われるといいます。

法名は、仏と成られた方からいただく「メッセージ」なのだと思います。

かけがえのない大切な人につけられた、かけがえのないお名前(ご法名)を、遺された私たちが、どういただくか。

ご葬儀を、真に意義あるものにできるかどうかは、祭壇の中央に安置されたご法名との、心の向きあい方次第です。

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