⑥ つながるご法要

慶集寺のある富山県は、歴史的に浄土真宗の信仰の厚い地域です。富山のお墓の9割方には「南無阿弥陀仏」という六字が刻まれていることからみても、お西(本願寺派)お東(東本願寺派など)といった宗派の違いがあるとしても、とても多くの家にとって、浄土真宗との関係があることがわかります。

富山の浄土真宗寺院は、ならわしやしきたりを大事にする土地柄のおかげか、地域の慣習としてある仏事の執り行いをすることで、これまでは安定した護持が出来てきました。

これまでの富山のご葬儀といえば、地域や親族や仕事の関係者が一堂に会するような大規模なものが一般的で、それは「一般葬」といわれていました。ところが近年では、身近な親類だけで行われる「家族葬」の割合が徐々に増えてきて、いまではそちらの方が一般的になってきています。

家に仏壇があって、お墓もあって、門徒としてどこかの寺院に所属しているというのは、いわゆる「本家」の世帯です。いわゆる「分家」としての世帯を構える方々にとっては、仏壇やお墓、お寺とのお付き合いというのは、縁遠く感じられているのかもしれません。

2020年、コロナ禍以降の社会においては、否応もなく葬儀式の簡略化が推し進められるようになって、お参りに参列される方の人数も限定せざるを得なくなりました。

もちろんこれまでのような一般葬が無くなるわけではありませんし、家族葬と一言にいっても多様なあり方が見られます。さまざまな家族があるのですから、家族葬にもいろいろあるのは、当然のことだと思います。

しかしながら、最近の傾向に顕著に感じられるのは、その簡略化や少人数化が急激に進んでいることです。コロナ禍においては致し方ないこととは思うのですが、そのあり方は「核家族葬」といえるほどでもあります。

インターネットで「お葬式」と検索してみると、お好みの形式でのご葬儀が選べて、僧侶の読経もあわせて注文することができて、明朗会計をうたう、ネット系葬儀社の広告ページを見比べることができます。

進行する都市化や長命化の影響でしょうか。病院や施設から直接火葬場に搬送される「直葬(じきそう)」といわれてきた葬送の様式が、「火葬式(かそうしき)」という名称の小さな家族葬として、葬祭業界から提唱されてもいるようです。

火葬式とは、通夜や葬儀式や初七日法要を行わず、火葬と収骨の際に短い読経があるだけの形式です。

これまでの富山県の習慣では、ご葬儀があればそれに続いて初七日法要があり、四十九日の納骨法要があって、一周忌・三回忌・七回忌・十三回忌といった「年忌法要」が勤められるのが通例でした。そしてそれは、十七回忌・二十三回忌・二十七回忌・三十三回忌、そして五十回忌まで続けられるものでした。

兄弟の数が7人8人いるのが普通だったような、明治・大正・昭和初期生まれの世代がお勤めされてきた、かつてのご法要を再現することはもうできません。兄弟の数が少なくなってくれば、親類縁者の数も少なくなるのは当然です。

超高齢化を過ぎて人口減少の時代となった現代においては、ご葬儀に参列される親族の数がもともとに少ないですから、そのあとに続くご法要にもお参りされる方は、年忌を経るごとに少なくなっていきます。

かつては一族の大行事としてあった、親類縁者が一堂に会するようなご法事は、もうすでに過去のものとなりました。

仏間のあるご家庭ばかりではありませんし、沢山の引き出物や丁重過ぎるほどのお勤めを好まれる方ばかりではありません。

形骸化されたようなご法事に多額の費用をかけることを、私自身、好ましいとは思えません。施主となる方に無理や無駄を感じさせるような負担があるならば、それは続かなくても仕方がないと思います。若い世代になればなるほど、これまでと同じことを強いることは出来なくなると思います。

けれども、かつてあった「 冠(成人)婚(結婚)葬(葬儀)祭(祭礼)」を機会とする親類縁者間の「お付き合い」が希薄化していくなかで、人と人とのつながりが次第に絶たれていく傾向にあることは気がかりなことです。

どんな人も、何らかの人間関係のなかで生きているものです。

仏教では、諸行無常(すべてのものは変化している)の道理を説くと同時に「諸法無我」を説いています。

諸法無我とは「すべてのものは関係性のなかにある」という道理です。

私たち一人一人が、ただ一人の個人であることは尊重するべきこととしても、それぞれはお互いに関係しあいながら、影響しあいながら、存在しています。

ご縁のなかで、生かされているのです。

今後の日本の社会では、婚姻関係のあり方も更に変化していくものと思われます。多様化する価値観のなかで家族のあり方も、ますます変わっていくのだと思います。

これからの社会の人間関係を思うと、いまあるご縁の大切さを、いま一度見直す「機会」としてのご法要は、有意義なものであると思います。

お陰さまで、有り難くして、いまここにあることの気付きを深める機会が、ご法要です。人と人とが心でつながるご法要のあり方を、ご縁の方々と共に、創り出していきたいと思っています。

ものごとを再生していくことの重要性が語られるようになった現代社会で、「リフォーム(改良)」や「リノベーション(改修)」「リユース(再利用)」といった言葉を、よく耳にするようになりました。

私はいまこそ、ご縁の「リユニオン」が必要だと思っています。

辞書を引くとリユニオン(re-union)とは、「再結合。再結成。再会。」といった意味であることが挙げられています。

家族としてご縁をいただいた一人一人が、いつもはそれぞれに忙しくて時間を共にできないところを、亡き方をご縁としてひとつの場所に集まり、いただいたご縁を、もう一度紡ぎ直す。そうした機会が「ご葬儀」であり「ご法要」なのではないかと思うのです。

ご葬儀やご法要という大事な機会をいただいて、僧侶である私は、謹んでそこに交わらせていただき、仏教の肝要である「縁起の教え」を説かせていただいております。

一期一会が積み重なって、一人一人の人生があります。

ありがとう、おかげさまの憶いは、以心伝心でつながっているものです。

豊かなご縁が、豊かな人生を育んでいくはずです。

僧侶の読経に耳を澄まして、心を安らかにすることも大切です。食事を共にして、和やかに時を過ごすことも大切です。普段はなかなかできないような、ファミリーヒストリーを語ったり。終活の相談をしたり。

ご自宅に多くの人が集まるような仏間が無いような場合には、東岩瀬町の慶集寺を会場としてご利用いただくこともできます。>>> 東岩瀬町・慶集寺施設のご案内

慶集寺は、つながるご法要を共にさせていただき、人生の最期までお付き合いを深めさせていただくことで、未来にまでそのご縁をつなげていけることを、願っております。

よいご縁をいただければ、幸いです。

南 無 阿 弥 陀 仏

令和二年 十一月
慶集寺 十八代住職 河 上 朋 弘

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